作戦決行は午前二時

1 フィガロ−12/23 AM2:00

 十二月も、残すところ十日足らず。

クリスマスまで、あと三日。

 世間一般の父親≠スちは、妻子へのプレゼントやカードに書き込む文句に思いを馳せつつ、休暇に入ろうかという頃。

 けれど、フィガロの父親はもう一週間以上戻らない。軍情報部所属という物騒な職業柄、長く家を空けることは珍しくない父だから、あまり心配はしていない。母がこぼした情報から、面倒な事件がこの忙しい時期に起こった上、イヴを家族と共に過ごすという約束を守るため、着替えに戻る暇もないほど仕事に追われているのだと、フィガロは知っている。マーマに嘘をついて浮気旅行へ出かけている訳ではないのだから、案ずることはない。

 むしろフィガロには、自分との約束のために必死に働いているバンコランを責めることも、いつものベビーシッターとマリネラ大使館のタマネギたちが流行の風邪で同時に伏せってしまった為フィガロの預け先がなく、本部へ手伝いに行くことも出来ず歯がゆい思いをしているマライヒの方が、心配に思えた。かといって、一人で家で留守番をするとも言えず、ましてマライヒがそんなことをさせないのも分かっているので、フィガロはせめてもと、わがままを言わず、むやみに外に出たがって風邪をもらってきたりしないように努めている。

 

 今夜も、フィガロが眠りにつく前に、バンコランから戻れそうにないという連絡があった。マライヒは、一度だけ深くため息をついてから、平生と変わらない笑顔をフィガロに向けて、

「しかたないね、パパはお仕事なんだから」

と、呟いた。自分に言い聞かせる様に。

 

 マーマはいつも我慢しすぎるんだよ。

 程なくして誘われた寝室で、孝行心と共に下心もあっておとなしく眠りにつきながら、フィガロはいつか喋れるようになったら、マライヒにそう言おうと思った。

 

 日付が変わって、二時間近くが経った頃。昼間は空調の効いた高層マンションの室内も、家人が眠りについて久しくすっかりと冷え込んでいる中で、ぱちりと幼子が目を覚ました。

 

 男性同士の間に、まさに奇跡として生まれたフィガロには、もう一つの顔がある。

 大天使ミカエル。

 彼は、やがて起こる大災害に備え同性同士のカップルに子供を与えるべきか否かという天界の実験の為、バンコランとマライヒの間に生まれてきた。実験それ自体は「時期尚早」という結論が出たものの、パタリロの説得により父母の心情を踏まえて地上に留まったフィガロだが、聖夜前後は何かと多忙な天界に、手伝いに赴かねばならない。

 

 まったく、パーパも大変だけれど、ぼくだってそれなりに忙しいんだよ。

 明日はたっぷりお昼寝をしなくっちゃ。

 ぼくが寝てれば、マーマも少しは楽ができるかしら。

 

 マライヒがしっかり眠り込んでいることを天使の力で確認し、暖かなベッドから抜け出す苦心(テレビゲームと共にこれも、地上に降りて知ったものだ)をしながら、フィガロは内心ひとりごちた。

 天使の計画は、密やかに実行される。

 

 

2 マライヒ−12/24 AM2:00

 

「今日こそ帰る」

と言った男は、未だ戻らない。

 日付はとっくに変わってしまった。 もう何日も、彼の顔を見ていない。日に一度か二度の電話連絡はかろうじてあるものの、すっかり疲れ切った葉巻とコーヒーの匂いが漂ってきそうな声で短く、「今日も帰れん」と告げるだけ。言葉少なく苛立ちと疲弊を隠しきれない口調に、「うん、わかった。頑張って」と返すのが精一杯な自分が、マライヒは何とも口惜しかった。もう少し、気の利いた返事をすればいいのに。

一日に一度、声だけでも、彼に触れられるごく短い時間。ほんの数分。電話を切った後、疲れきった彼を癒す言葉一つ上手く見つけられない自分の無力を噛みしめる日々。バンコランが戻らないことも辛かったが、自分の役立たずっぷりを自覚させられることも、マライヒには辛かった。

 

今夜、フィガロをベッドへ連れて行く直前、夜八時頃に鳴った電話で、バンコランはいつもより少し明るい声で、「やっと目処がついた、今夜こそ帰る」と告げた。

「本当に!?」

「ああ」

「うれしい。じゃあ、ワイン冷やして待ってるね」

「そうしてくれ」

 あっという間に電話は切れてしまったが、マライヒにとってはここ数日で一番嬉しいひとときだった。

 バンコランが何より好む花のような笑みを浮かべた母に、幼いフィガロも事情を察したのかそっくりの笑顔を見せ、機嫌良く眠りについた。

 

 あれから早五時間あまり。

バンコランはまだ戻らない。

 

クリスマス前の手薄な警備を狙ってテロでも起きて帰れなくなったのか。いやそれならば、連絡ぐらいは寄越すだろう。彼は、浮気癖以外は極めて誠実な伴侶なのだから。

 では、浮気? 

 どこかで粉をかけておいた美しい少年から誘いの声がかかって、いそいそとそちらに出かけてしまった? 

 いや、それはない。

それならなおのこと、白々しい嘘の電話をかけてくるはず。

とマライヒは自問自答する。

きっと、部長か誰かがまた彼に面倒ごとを持ち込んだに違いないさ、きっと。

頭の中で一人繰り返す、疑いと慰めの応酬に、マライヒは仕事をしているわけでもないのにすっかり疲れ切ってしまっていた。 

「もう、寝ちゃおうかな」

 口に出してはみたけれど、行動に移す気は毛頭無い。

 帰ると言ったバンコランを待たずに先に眠ってしまうことがもし出来るなら、とっくにバンコランと別れているだろうに、とマライヒは自分を笑う。己の性質はそれなりに理解しているつもりだった。結局、日付が変わろうが朝になろうが明日の夕方になろうが、バンコランが戻るまで自分は忠犬よろしく待ち続けてしまうのだ。

 

「決めた」

 彼が戻ったら、まず一番にキスをしよう。

 どれほど疲れていようが、目を開けていられないほどに眠たかろうが、知るもんか。

 お帰りなさいを言うより先に、ただいまという言葉を聞くより先に、彼に抱きついて思う存分キスをしよう。

 

 心を決めれば、元「ダイヤモンド輸出機構の死の天使」の行動は速やかだ。バンコランのためのグラス、氷、軽食、風呂、ガウン、葉巻や灰皿の準備が整っている事を確認し、彼が戻ってきたことを一番早く察知できる場所の選定にかかる。玄関で待つには寒すぎるが、居間に居ては外の音が聞こえづらい。玄関から居間へのルートを何度も往復しつつ最適な場所を選ぶ。作戦の準備は、迅速かつ適切に行うものだ、とマライヒは十二分に心得ている。

 

 午前二時を回った頃、外廊下を大柄な男が革靴で歩く音を、耳も心も研ぎ澄ませて待ち構えていたマライヒが捉えた。

 バンコランだろうか。

いつもより足音のテンポが遅く重く感じるのは、彼の疲れのせい?

 足音は、彼らの住む部屋の前で止まる。

 ポケットを手で探る気配がする。

「バンコランだ!」

 声にしない声で叫んだマライヒの胸が跳ねる。

 彼が鍵を探り出す間、鍵を開ける間すら惜しくて、ドアに駆け寄りロックを開く。声もなく急に開いたドアに驚いているバンコランを無言で部屋の中へ引き込んで、後ろ手に鍵をかけながら口づける。面食らったバンコランは暫く棒立ちのままだったが、マライヒがあまりにも熱心に抱きつき唇を寄せるのがおかしくも愛らしく思えて、キスをしたまま苦笑を浮かべ彼を抱き返した。

 マライヒが満足するまで、たっぷり五分以上はあっただろうか。

どちらともなくキスを終える頃には、抱きつくマライヒの体温で暖められて、寒い中を帰ってきたバンコランの体も室温に慣れていた。

 

「・・・お帰りなさい」

 少し気まずそうにマライヒが言ったのが、バンコランには重ねて可笑しく、疲れていても端正な顔に再び苦笑が浮かぶ。

「ああ、ただいま」

 やっと、廊下を進んで居間へ向かうことの許されたバンコランからコートやマフラーを受け取りつつ、マライヒが言葉を次ぐ。

「あと」

「うん?」

「クリスマス・イブだよ」

「今のキスは、早めの贈り物か?」

「ちがうよ。作戦」

「作戦?」

「うん。作戦成功」

 愛らしい顔を、年相応に悪戯な笑みを浮かべる。

 バンコランにはこれが、何よりのプレゼントに思えた。

 

 

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